猫の飼い主は「去勢」とどう折り合いをつけているのか

10年位前からネコを飼いたいと思っている。住んでいるマンションはペット禁止ではないし、頑張ればネコを養えるくらいの稼ぎはあると思うので、その気になればいつだって飼えるのだけれど、今一つその気になれないのは「去勢」という避けられない儀式があるからだった。

僕は、どんなコミュニケーションでも僕の存在が相手に対して影響をあたえてしまう事を避けるようにしている。友人や恋人には僕がいてもいなくても同じように好き勝手にふるまっていてほしいし、もちろん自分から相手に自分への気遣いとかを望むこともしない。お互いが好き勝手にやった結果、繋がるならそれが最高だという考え方だ。こんなんだから、年齢とか地位による主従関係なんかも大っきらいだ。

だから、僕は犬より猫を選ぶ。犬の飼い主は「犬は自分の家族!」と言い切るけど、じゃあいったいあの扱いは何なんだ。芸を強要する、お出迎えは望む、誰もかれもが自分の意志を尊重することを犬に求め過ぎていて、あれじゃあやっぱり犬は家畜じゃないか、という気持しか湧かない。

その点ネコは違う気がした。人のネコや動画をみる限り人間に忖度することなくあくまで対等に生きている、そんな姿が僕にはすごく好印象だったし、ネコしかない!と考えていた。

そこに来て「去勢」という話だ。去勢は知ってのとおり、発情期にともなう求愛行動を抑制するための施術でオスメス問わず過半数のネコが去勢済らしい。

去勢により睾丸や子宮を取ってしまう事でホルモンの分泌が抑えられるから当然、ネコは落ち着く。

僕はどうしてもこれに抵抗がある。ホルモンの分泌に手を入れるということはそのネコの性格の基盤に手を入れるのと同じで、傲慢極まりないと感じるばかりか「僕は果たしてそんな自分に都合のいい処置をしたネコを愛せるのか?」という所まで考えてしまうのだ。

インターネットでは「ネコのストレス軽減になる」「病気の予防になる」と飼い主は語っているけれど、僕にはそれが「なんかこの人、異常行動が多いのでロボトミー手術※をしたら落ち着きました!良かった!」という告白に聞こえてしまう。いいのか?それで。自分の都合のいいように生き物の基盤を改ざんして。

ネコを飼おう!と思った時に、いつも僕はこういう疑問にぶつかってしまい、未だに踏ん切りがつかないでいる。

 

※ロボトミー手術:昔精神病の患者に行なわれていた脳手術。前頭葉を切除する(機能をなくす)という割と無茶なもので、案の定、落ち着きの代償として感情や個性を失ってしまう患者が続出した。