「ネトウヨ」化する「ネトサヨ」
先日この話で、かっそ過疎な僕の日記が少し盛り上がった。
「はてなはエモいしチョロいな」というのが率直な感想。まあ、ここは本格的に金儲けを狙っているサイトでは無いので、これで得られるメリットは「僕が楽しい」ということだけだけど。
しかしネットもお行儀の良いものに変わったもんだ。僕がネットに親しんできたゼロ年代はネット上で「エモる」といえばもっぱら歴史修正主義者、右翼、レイシストあたりのノイジーマイノリティだったはず。それが今や、真っ当なことを言わないと真っ当な人にボコボコにされる時代、に。
一見、良きことに見えるけれど、これ多分フェミニストとか人権主義者とかそういう人が現実で居場所を失って、ネットに逃げ込んできただけの話だよね。現実では逆転されちゃったからさ。
正しさを追求しようとするマイノリティにとってネットは居心地の良いところには違い無い。
はてなやtogetterを見てもわかるように、ネットは俗に言うところの「村」を作ることが簡単で、その村に属している限り、「叩きたいものを叩き、その叩き方を褒められる」という馴れ合い、というか溶け合いができるんだもの。しかもとても村とは言えない規模で。これは気持ちいい。しかも自分は論理的には絶対的に正しいわけだからさ。
ただ、そういうコミュニティって、最終的には同じベクトルの意見が家系ラーメンの豚骨スープ以上に煮詰まって、なんていうか、一般人からすればただただ「臭い」だけのものに成り下がっちゃうんだよね。
マイノリティが愛好家の中だけで楽しんじゃったらもうそれは、ゲイの乱行パーティーとか24時間テレビみたいなもんで「頼むから気持ち悪いから見えないとこでやってくれよ」って感じになっちゃう。
まあ、まあこれはそのまま「ネトウヨ」が辿ってきた道だからわかる人には説明するまでもなく解ると思うけれど。
つまり、僕が最近なんとなーく感じるのは、同じ道を「ネトサヨ」の皆さんも歩もうとしているのでは無いのか?ってこと。
異常にエモっている「正しき人」を見るたびにあの懐かしの「ネトウヨ」の影を見てしまうのは僕だけ?
「その先に楽しいことは無いですよ」