西野炎上騒動から透けてみえるクリエイターの軟弱さ
件の西野氏。僕は西野氏の公式ブログをみて絵本無料化の話を知ったのだけれど、その時は「おもしろいことやるなあ」と思った程度で特に悪い感情も持たなかったから、今の炎上騒ぎを見て割と困惑している。
炎上当初クリエイター側の言い分は、まあどう考えても「無料ビジネスは悪!正当な対価を!」としか捉えられないもので、「いらすとや」とかも同じ土俵に上げられて盛大に叩かれていたのを覚えている。もちろん、それは明らかに無理筋だった。
方々で語り尽くされているように無料ビジネスは悪く無い。むしろ、無料ビジネスは「それまでだったらクリエイターとして生きていけない」レベルの人にまで、お金を回す割と良いシステムであって、それを否定するというのは余程のレベルのクリエイターで無い限り自滅に近い(僕だってアドセンスではてなproやれてるしね)。
さすがに、旗色の悪さに気がついたのか、結局現在の西野批判は「『金の奴隷開放宣言』という言葉が気に食わない」「西野が無料開放したことで、一般クリエイターの報酬が下がる」といった感じに落ち着いているようだ。
なんだか、端から見ていると「糞ダセー」と思う。
西野氏の言い方が気に食わないのなら、最初からそう言えばいい。自分が恩恵を受けているはずのシステムの方を批判してしまうのか。僕には、そこに「無料ビジネスに仕事を取られた(と思っている)」木っ端クリエイターの怨念とか自尊心を見た気がして嫌な気分になった。見当違いの恨みを他人に代入して発散するのは気持ちが悪い。
さらに、「西野が無料開放したことで、他のクリエイターの報酬や地位が下がる」という意見も素直には頷けない。
実は僕は木っ端編集者を仕事にしていて、本当に小さな会社だがクリエイターさんの言うところの発注者側だ。で、だからこそ
「発注者をそんなに舐めないでくださいよ(怒)」
と言いたい。
どうもネット上では発注者というと、創作物の価値もわからない鬼か悪魔のような野蛮人として敵視されることが多いけれど、さすがにこの西野氏の「創作物で金を取るなんてダセー」という発言を真に受けるほどバカじゃない。
ちゃんとした仕事をするクリエイターにはちゃんとした報酬を支払うし、値段に見合わないクリエイターはお引き取りいただくという、それだけのお話。
なのに「ものの価値がわからない」扱いは正直、あんまり良い気分はしない。
だいたい、そういう不埒な発注者は西野氏の件がなくても不埒な要求をするよ。それに付き合うくらいなら、さっさと別の会社に営業をかけたほうが良いんじゃない?発注者を批判するよりもさ。
どうも僕はこの件でクリエイター側にいまいち気持ちが傾かない。
それはなんとなく「ネットで吹き上がってるクリエイターの軟弱さ」をどこかで感じてしまうからだろう。
西野氏の話に納得がいかないことはわかる。
でも、SNSによる副業レベルの向上や無料ビジネスは世の流れだし、発注者も西野氏の発言を鵜呑みにするほど愚か者ばかりでは無い。
となると結局はクリエイターの力量次第。自分の道は「技術力」はもちろん「コミュニケーション能力(営業力)」や「ビジネス力」で切り開いていくしか無いのだ。
残念ながらTwitter上で吹き上がっている人たちからは、あまりそういう気概は感じられない。虐げられし弱者の感すらある。果たしてそれで良いのか?
僕の会社に出入りしているライター・カメラマンはいずれもタフだ。
営業はもとより、料金や方針への不平も不満もしっかり伝えてくるし、納得いかなければ進行中の媒体すら止めることもある。でも、彼らは僕らにとって欠かせない存在だからこそ比較的良い関係を築けている。
なぜそういう関係性の中で仕事ができないのか?
不遇で買い叩かれてしまうのか?
そして、それは本当に「西野氏の思想」や「発注者の横暴」や「大衆の創作物への無理解」が原因なのか?
行き詰まっている吹き上がってるクリエイターはもう一度考えて欲しい。
西野氏の意見を利用して、自分の境遇を嘆いている場合じゃ無いよ。