「女の子を宙に浮かせる」天才作詞作曲家・真部脩一について

これから真部脩一という天才作曲家のこと皆さんにお知らせすべく書こうと思う。とはとは言え僕は音楽的素養なんかないから「〜系の流れを組む」とか「ここのコード進行が」とか、そういう例えば高橋芳明ばりのシャレ乙な解説はできない。

だから、えらく漠然として抽象的でアマゾンレヴューの方がいくらかマシ、程度のものしか書けないかもしれないが、それでも、少しでも真部脩一という作曲家について知ってほしいからまあ、とりあえず、漠然と書くことにした。

 

僕は2007月7月22日TBS伊集院光深夜の馬鹿力というお化け番組で相対性理論バンド)の「loveずっきゅん」という曲に出会った。

 

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それは、好き嫌いはともかくとして、多くの人に「ただごとではない」と感じさせる神託とか天啓とかそういう類の歌だったと思う。もちろん僕はそれを受け入れたし、それからしばらくの間、この相対性理論の曲ばかりをとにかく無心に、まるで「気持ちの良くなるお薬」か何かのように(まあその通りではあるんだけれど)聴き続けた。

 

ただそんな相対性理論も次第に聴かなくなっていった。ファーストアルバムである「シフォン主義」セカンドの「ハイファイ新書」はひたすら聞いていたが、次の「シンクロニシティーン」は数曲をヘビロテ、「TOWN AGE」に至っては流し聞きで済ましただけ。

「何かが変わった」とは思わなかった。ただたんに自分が飽きっぽいだけだと思っていた。

シフォン主義

シフォン主義

 

 

ハイファイ新書

ハイファイ新書

 

 そして相対性理論の曲を聞かなくなってから数年の月日が流れる。

 

多分ふと思い出しただけだったと思う。ある日僕は今の相対性理論が気になってググってみた。するとこんな記事を見つけた。

basement-times.com

なんだか物騒な単語の飛び出すブログだけれど、同時に「これか!」と納得した。

僕が相対性理論を聞かなくなった「シンクロニシティーン」から「TOWN AGE」の間に作詞作曲の真部脩一とドラムの西浦謙助が脱退していたのである。

変わったのは僕ではなく相対性理論だったわけだ。

えらくラグがあるがこれが僕が真部脩一という天才作曲家(作詞家)を知ったきっかけだった。

以降、真部脩一の音楽ばかり聴いている。

いくらなんでも前置きが長すぎる。

 

1、真部脩一とは何者か

一部でカルト的な人気を誇る「進行方向別通行区分」のギターである(ちなみ西浦氏はドラム)。楽曲を聴いてもらうとこのバンドのカルトさがすぐわかると思う。

 

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珍妙なボーカルと歌詞、1分と聴き続けられないかもしれないアクの強さ。でも1分耐えられれば、その先に何かが見えてきそうな、そんな不思議なバンドである。また歌詞に反してメロディラインが異常にカッコいいのにも注目だ。是非2分以上聞いてもらいたい。

ただ、この時は真部脩一はメインとしては作詞にも作曲に携わっていない。

真部脩一が進行方向別通行区分で培ったセンスをそのままに作詞作曲としてガールズポップに殴り込んできたのは相対性理論が初めてだ。

 

2、「女の子を宙に浮かす」天才作詞作曲家・真部脩一

音楽のイロハを知らない僕にとって真部脩一の何がすごいのかをはっきり論理立てて話すのは難しい。

ただ、フィーリングのみで言うのなら真部脩一は「女の子を宙を浮かせる」天才だと僕は思うのだ。

彼の歌詞は非常に独特だ。

相対性理論/スマトラ警備隊より)

やってきた恐竜 町破壊 迎え撃つわたし サイキック
更新世到来 冬長い 朝は弱いわたし あくびをしてたの

太平洋 大西洋 ここ一体何平洋よ 盗んだわたしの記憶をかえして
CIA KGB FBIに共産党の陰謀よ 誰か わたしを逃がして

一見してわけがわからない。不可解だ。「なんの話なのか」「いつの話なのか」「歌の主人公は何者なのか」というような情報が一切ない。ただただ「気難しい乙女の妄想」めいたもののに見える。

この歌詞が、ヴォーカルの女の子を限りなく現実から乖離させる。そこに、キャッチーで中毒性を超えた真部脩一のメロディとやくしまるえつこ独特の無機質なウィスパーボイスが乗るわけだから、ますますヴォーカルはこの世のものではない神聖視された存在となる。

これが「女の子を宙に浮かせる」ということだと僕は思う。

そして、「宙に浮いた女の子」はそれがどんな姿形をしていようと神聖なものだ。聖女のように神々しい。

 

僕が相対性理論を初めて聞いた時に受けた天啓はまさにそれ故だったのかもしれない。

 

「アイドルを地べたに引き摺り下ろしてファンに支えさせる」という秋元康システムのまったく逆。

どちらかというと、ブラウン管の向こう側の存在であった昭和アイドルに近いかもしれないが、メディアの力抜きに作詞作曲のみで「女の子を宙に浮かせている」真部脩一はやっぱり天才と言えるだろう。

少なくとも僕はこれができる、他の作詞作曲家を知らない。

相対性理論を脱退してからも真部脩一のこの路線は変わらない。

むしろ、ガールズユニット「タルト・タタン」のプロデュースでさらに強力になったように思える。

 

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もう、このヴォーカルの人たちはどちら方いうとアイドルより一般人に近い。しかし、それでも真部節で現実感を喪失させられた結果、しっかり宙にういている。相対性理論よりやや乙女っぽさをストレートに出した曲が多いが、心地よい上滑りが聞いていて気持ちがいい。真部脩一が関わった1stアルバム「テトラッド」は超名盤だ。

その他、ハナエなどのプロデュースに関わっており、そこでも持ち味を存分に発揮している。

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3、今後の活躍。単発かバンドかヴォーカロイドか

ただ、真部脩一楽曲にもちょっとした難点があるとおもう。

 あまりにもヴォーカルの現実味を削ぐその独特な手法故に、ヴォーカルが自我を持ち出したり、真部脩一の手から離れたりすると途端に女の子は宙から落ちてしまうのだ。

前者はいうまでもなく相対性理論。ヒットとともにヴォーカルのやくしまるえつこが自我を持ち出し、作詞作曲を含め独自の活動をし始めたため真部色が薄くなってしまった。もちろん好みによるが、彼女の獲得した自我は僕にとって「ちょっと変わったシンガーソングライター」くらいのものに見える。少なくともloveずっきゅんの時の神聖さは無くなってしまった。もしかしたら真部脩一の脱退もこの辺りに原因があるのでは。

後者は、ハナエ・タルトタタンで、真部脩一がプロデュースしているうちは良いのだが、作詞作曲が他の人に変わるとやっぱり「地に足のついた普通の女の子」に戻ってしまう。

個人的には、真部脩一には今のように単発ではなくバンドを組んで、楽曲を安定供給して欲しいところなのだけれど、今までの経緯を見るに、真部氏の音楽はヴォーカルとの関係性などにも多分に影響されるため、関係を長期間固定すると言うのは難しいのかもしれない。

その読みが正しいのかどうかはわからないけれど、真部脩一はヴォーカロイドにも進出している。

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真部脩一の音楽は代わりの効かない、最近では珍しい「オリジナル」なものだと思うので、地下アイドルでもなんでも継続的に活動をして欲しいと、ものすごく思う。

 

 

テトラッド(通常盤)

テトラッド(通常盤)

 

 

シフォン主義

シフォン主義