お葬式初心者(喪主親族)のためのガイダンス、という名のレポート

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先日父方の祖父が亡くなった。

もともと危ないとは言われていたから、亡くなったという知らせを聞いても差して驚かなったが、問題なのは私たち家族(父・母・僕・妹)全員が葬式参列経験無しということだ。

参列したこともないのに、いきなり喪主親族側としての参加である。

ネットを調べても、ふわーっとしたマナー集が出てくるだけで全然役に立たない。「お葬式とは個人を弔う儀式です」ってそんなこと知ってる。もっと、実情を知りたいんだ僕らは。

 

ということで、今回は僕が経験した喪主親族としての「お葬式」をレポートしていこうと思う。少しでも、お葬式未経験者の参考になれば嬉しい。

 

 【1日目】

1 死去

某日土曜日の深夜、危篤の報を聞き先に現地(仙台)入りしていた父から祖父が亡くなったという知らせが入る。

朝一で行かなければ!とは思ったがどうやらそんなことは無いらしい。とりあえずゆっくり寝て、当日の昼くらいに仙台入りをする予定に。

仙台なんて数年ぶりだし、父方の本拠地ということもあり心がざわつく。

 

ちなみに妹はこの翌日にハワイ旅行が迫っていた事もあって、行く行かないで大層揉めた。倫理上は「行く」一択なのだろうけれど、いざ直面してみるとそうそう割り切れるものでは無い。妹(24)の泣く姿を僕は初めて見た。

結局、妹はハワイ旅行に行くことになった。当日だけ仙台に行って式には参加せずトンボ帰りである。賛否両論はあろうが、この決断をした妹とそれを許した両親に僕は敬意を払いたい。なんだかんだ言っても生きている人の方が大事なのである。

 

2 対面

 翌日僕らは仙台に着いた。そうすると待っていたのは知らないおばちゃんと父であった。おばちゃんは親戚か何からしい。営業モードで挨拶をする。こんなやりとりがずっと続くのか、というやな予感がする。

式場に着くと親族の待合室というところに通された。ここは、キッチントイレ完備の1LDK位の部屋で大層快適な空間だ。住んでもいい。

そんな快適さに目を奪われている僕らの視界の隅に妙なものがよぎる。人が寝ている布団だ。

ん、これはひょっとして・・・おじいちゃんか!?

ぼけーっとしてた僕が悪いのだが、正直いきなりここで対面するとは思っていなかった。なんといっても生まれて初めて見る死体である。もう少し心の準備というものが・・・。初めての方は注意してほしい。

線香をあげ祖父と対面する。思ったより感慨はわかない。これでもおじいちゃん子だったんだけどな。まあ所詮はモノということか。祖母が愛しむように顔を触っていたのが印象的だった。

しかしそれ以上に母が「うわーこんなに小さくなっちゃって」ととにかく顔をベタベタ触っていたのには驚いた。内出血の跡に関しても詳細に聞いていた。

母も死体を見るのは初めてのはずだ。おそらく死体への知的好奇心が愛しむ心を上回ってしまったのだろう。恐ろしい女だ。

 

ちなみに妹は着いて早々祖母から

「来てくれてありがとね。明日から海外研修なんだって?おじいちゃんも「仕事優先」って言ってたから、頑張って行っておいで」

という強烈な右ストレートを浴びせられていた。

どうやら父が気を利かせてそう伝えたらしい。

妹は「・・・・はい」と力なく答えていた。

妹の業がどんどん深くなっていく。

僕は笑いが堪えられなかったが。

 

3 「おくりびと」登場

対面を済ませた後はしばらくやることは無い。が、入れ替わり現れる親族の対応が厄介だ。知らない人ばかりである。「〇〇くん大きくなったねー」って知るか。

そんな営業的なやりとりを繰り返した後、葬儀場の人がただならぬ雰囲気の人を連れてやってきた。

「これからご遺体をきれいにします」

ああ、たぶん「おくりびと」だ。早速部屋から退出しようと思ったがどうやら違うらしい。遺体を清める行為は家族の面前で行われる。渋々着席、衆人監視のもとで、遺体に綿やらなんやら詰め込まれていくなんとも言えない場面が始まる。

知らない親戚と「あ、おくりびとだね」「そうですね」というこの部屋で何百回とされてきたであろう会話をする。恥ずかしい。

一通り作業が終わると、今度は僕らも作業に加わる。といっても、足袋の紐を締めるとかその程度だ。この辺はおくりびとが丁寧にガイダンスしてくれるから全然心配はいらない。あ、10円玉は用意しておいたほうが良いかもしれない。「三途の川の六文銭」代わりに使うので。しかし、単純に10円6枚の代用で良いのだろうか。当時との為替レートの差もあろうに。

最終的にみんなできれいになった祖父を棺桶に入れてこのパートは終了。

 

4 部屋移動とお焚き上げ

 いわゆる納棺が済むと別部屋に移動となる。先ほどの部屋よりさらに豪華な部屋だキッチンに加えてシャワー・ベットルームまで完備されている2DK。しかも備え付けのお菓子やカップ麺は食べ放題である。住みたい。 

 聞いた話によるとここは「お焚き上げ」をする部屋らしい。お焚き上げとは一晩中線香を絶やさぬようにする儀式らしい。だから喪主らが泊まれるよう部屋がきれいなのだ。僕はそういう面倒くさいことはまっぴら御免なのでホテルで寝ることにした。時間は午後9時前。結局1日僕らは何もしていない。気楽なものである。

喪主である父はうって変わって超忙しそうだった。葬式の手配、関係各所への訃報の連絡などなど、土曜の深夜から今まで全く寝ていない様子だ。お葬式の手紙?の文章について相談を受けたので、とりあえず3案ばかし考えて提出。このくらいは協力しなくちゃね。

 

 【二日目】

5 通夜

 翌日は通夜。ここで初めて本当の意味での式場に入る。東北という土地柄なのか、祖父が教師であったことが関係しているのか、かなり豪華な祭壇である。会場も100人くらい入る、テレビで良く見るアレ。

喪主親族は最前列で通夜に参加する。何も難しい事は無い、やるのはお焼香と参列者に向かってのお辞儀だけ。それも、ちゃんと直前にリハがあるので大丈夫だ。

それ以外はだいたい座っていれば坊主主導で通夜は勝手に進む。

おきまりの有難い話もあるのだが、戒名の説明が終わったと坊主はこんな話もし始めた。

「本当は戒名は生前につけるもので、今でもそういう方もおります」

「みなさん鐘を叩くときはこう、鉢の角で弾くように叩くといい音が出ますよ」

おい、ただのセールスとお葬式豆知識じゃねえか。そんなに話すことが無いのか。人の祖父が死んでんのに。僕は何か言いたかったが他の人は神妙に聞いていた。

 

5会食

通夜が終わると、参列者自由参加での会食が始まる。入れ替わり立ち替わりくる参列者の相手に辟易とした。ここでは特質すべき事は無い。通夜だって言ってんのにバカスカ酒を開けようとする連中には閉口したが。

その晩もお焚き上げはあったが、僕はやっぱり疲れたのでホテルに帰って寝た。

父はその晩も遅くまで葬儀の打ち合わせをしていたが。

 

 【三日目】

6 火葬

翌日は朝早くから火葬である。親族は当然霊柩車に乗り、後の人はマイクロバスで火葬場まで移動となる。火葬場というと、某パン工場のような煙突と小学校の焼却炉のような無骨な設備を想像していたがそれは裏切られた。着いたのは郊外にある小綺麗な病院のような建物。そこが火葬場だった。炉もバルブで開けるようなものではなく、完全全自動ドア。ディズーランドのアトラクション感が半端ない。

祖父を炉に入れたあと、焼きあがるまで一時間強、待合室で待つ。焼き上がれば館内音声で呼び出されるシステムだ。待っている間、出前もとれるということだったの参列者(20人位)に決を採る。どうやら取るらしい。おい、まだ11時前だぞ。まさか期待してた?

そうこうしている呼び出しがかかった。遺骨との対面だ。祖父の骨は大きくギリギリ骨壷に入る程の量だった。押し込んだ。もう骨になれば人じゃ無い。

骨壷を父が抱え、式場に戻る。骨壷を抱いたまま居眠りをかましていた父が印象的だった 

 

さあ。いよいよお葬式だ。 

 

7お葬式(告別式)

仙台に来て三日目。やっと本番お葬式である。もちろん僕らのやる事は挨拶以外に無い。正直僕は飽き始めていた。いや、すでに対面が終わった段階から飽きが来ていた。お葬式が「悲しみを紛らわす儀式」というのはどうやら本当らしい。

「死んじゃった祖父のことはもう良いから、早く東京の家のお布団でゆっくり寝たい」

それがその時の偽りの無い僕の本心であった。だからここからはもう僕のただのレポートである(今までもそうだったが)

お葬式のメインイベントといえば坊主読経、弔辞、喪主挨拶であろうと思う。

坊主読経は通夜でもやったので大体流れはわかっていたが、お葬式ではまさかの5人バンド編成で彼らはやってきた。ヴォーカル・シンバル×2・鐘・ドラムスである。ここまでくるとただのパフォーマンス集団だ。少なくとも眠くならなかったのは有難い。

次に弔辞。読むのは祖父の教え子と同僚の2名だ。これがキツイ。いずれも職業が先生ということで、とにかく話に中身が無い上に長い。ただの思い出の羅列。もっとエモーションをぶつけろよ。エモーションを。

2人で40分以上話していただろうか?まるで学生時代の朝礼の気分だ。しかし、ここは祖父の葬式会場である。学生なら貧血で済むが、下手すれば葬式でまた死者が出るぞ。

ここは本当にイライラした。

最後は、父である喪主の挨拶である。さすがに実の父をなくした本人ということもあり、僕も最後の力を振り絞って真剣に父の話を聞いていた。父こう始めた。

 

「私は父のように生きれているのだろうか?最近そう自分に問うことが多くなりました」

 

ん!?それは、僕が葬式の手紙用に提出した3案の1つじゃねーか!

こともあろうに喪主挨拶の文章を息子が書いたものからパクるとはほんと良い度胸してるよ。衝撃の瞬間である。

この後、また会食があるのだがそこは省く。人付き合い以外やること無いからね。

 会食後、骨壷と遺影を抱えて実家にもどり祭壇にまつる。

 

ああこれでやっと、お葬式がおわった。

 

8 最後に

これが僕が初参加した葬式の全てだ。ガイダンスと称しながら完全なレポートになってしまったことを申し訳なく思う。途中から気がついていたことだがそのまま書いてしまった。まあ雰囲気だけでも伝われば幸いだ。とにかく喪主親族に関しては「ほとんど何もしなくて良い」というのが実情なのでその辺は心配しなくて良い。

しかし、お葬式とはかくも慌ただしく面倒臭い行事である。喪主親族としてそのすべてに参加してそう思った。悲しみどうこうより、しばらくは参加したく無い。

 

ただ、問題なの僕の家はまだ両家合わせて3人も祖父母が健在ということだ。みんな歳90近い。だからこのお葬式が終わったあと僕はみんなに伝えた。

「もうこんな面倒くさい儀式には後10年は参加したく無いから、頼むよ!」と。

願いが叶えば良いなと思う。

 

葬式は、要らない (幻冬舎新書)

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