ホワイトキー(ギョウ)探して

ラジオを聞いていたら鈴木亜美の曲がかかっていた。鈴木亜美は僕が思春期を始めたくらいに現れて、思春期を止めた時に消えていった気がする。それ以外の世代にはさっぱりだ。

きっと、あの時代に思春期を送っていた人だけに特別に届く歌声だったのだろう。

 

あれから数十年。あの頃の未来に僕は立っていなけれど、なんとか社会にしがみ付きながら、ネットに入り浸る生活を送れている。とてもありがたい事だ。

 

ただ、世の中にはどうも、僕のように悠長に暮らしている人ばかりではないらしく「あの」togetterでまたブラック企業問題が吹き上がっていた。

どうやら「ブラック企業のセブンコード(自称)」の濱野社長がテレビで「残業しなきゃ日本の質は下がる」とぶち上げたらしい。

しかも、番組放映後、togetterユーザーのツイートに濱野社長が全リプを返すというおまけ

 付き。

もちろん、そこでも濱野社長は

「給料もらってる人間が観客目線で意見してるのがムカつく」

「給料分の成果出さないで帰るんじゃねーよ」

などと、経営者目線の発言に終始したため、権利と社会とホモセクシャルにうるさいtogetter民が「労基に捕まれ!」と言わんばかりに(言ってたけど)大炎上していた。

 

まあ、たいした成果も業務改善案もださずに陰で文句を言い、転職を繰り返し、そのくせただ口を開けながらお給料を待っているだけの無能社員(中小企業勤務)こと、僕には耳の痛い話である。

 

ただ、無能社員には無能社員なりの自負があって、僕はけっこう「ブラック企業」には甘い。というか、どんなに待遇が悪くとも、業務時間が長くともそれだけではブラック企業とは言わないと思う。

じゃあ何でブラック判定をするかというと、

「公正に会社が社員とコミュニケーション出来ているかどうか」というところ。

例えば、証券業界とか保険業界とか、もうこれ以上ないくらい分かり易く「成果には金で答える。目標未達には死を」をコミュニケートしてきている訳で、それは、ブラックでもなんでもないし、むしろ、そんな業界に就職しておいて「残業時間がー」とか「ブラック企業だ!」とわめく方がどうかしていると思うのだ。

それは、ただ単に自分の能力が劣っているだけで企業に罪はない。

 

なので僕からすると「セブンコード」はブラック企業とはとても言えない。

セブンコードは誠実なまでに、自社業務の過酷さやその対価、要求する能力と怠惰へのペナルティ、会社の目指す道を求職者にコミュニケートしている。それで合意してる以上、企業側に落ち度はないのだ。後は会社についていけるかどうか。

幸いセブンコードは社員からの提案は歓迎しているらしいので、その点だけを見ればホワイト企業なのかもしれない。

 

でも、だからこそ濱野社長は「考えない、口だけで文句ばかり言う労働者」が信じられないし、許せないのだろう。

 

 「もうちょっと会社どうすれば良くなるか社員も考えよう。行動しよう。何も考えず、文句ばかり言い時間でお金を要求するのは単なる工場労働者だし、そんな人を雇い続けられるほどうちの会社や日本は裕福じゃない」

 

というのがツイッター上での濱野社長の発言の趣旨で残業云々は言葉のアヤであってこの際あんまり関係ないと思う。

 

これは、間違ってはいない。

というかすげーわかってる。

この言葉に反発するのは、僕にはちょっとムリだ。

 

ツイッターでの批判者の発言を見る限り、結局のところ日本人は

「機械的な仕事を機械的にこなすことで、凡人だけどそれなりのお金を貰いたい」

というちょっと怠惰な願望が未だ強いに違いない。さらに、このやや我儘な要求がここ数年のコンプライアンスブームに乗っかって非常に綺麗な言葉で「労働者の権利」として通るようになってしまった。

それに濱野社長はお怒りなのだ。

「そんな時代じゃないし、社員もそれ相応の能力を身につけろ」と。

これもやっぱり間違ってはいない。

 

もちろん、労働環境の改善は労働者の権利だしそれを否定する訳ではないけれど、実際のところ、改善するためには労働者側も自分にそれなりの負荷がかかるということは覚悟しておいたほうが良いだろう。そうでなければ都合が良すぎる。

 

やっぱり、必要なのは「会社と社員のコミュニケーション」。だまってアウトソーシングを進める経営者が多い中、濱野社長はよく言ったと思うよ。

 

このやりとりをみて、まあ僕も無能社員なりに頑張ってみようと思った。