100回目の雑記。「臭くなる雑記ブログ」の傾向と対策

この記事で100回目の更新。はてな界の常識としては「ブログ経過報告!開始1年!遂に100記事到達!合計収支は・・・」なんて事をやるのが当たり前なのだろうけれど、アフィブログを目指してスタートしたものの、早々に「そもそも物に興味ないし、買う金もねーや」という事に気がついて早々に雑記ブログに成り下がった「ありふれた事件」の事など、どうでも良いと思うので書かない。

強いて言うのであればだいたい僕が手にした金額は一年で2万位だった。

ゴミ日記でも金に変わる時代。魔法かよ。

 

まあ、そんな金の事よりも、ただの雑記を100回も書き続けている事を褒めてもらいたい。すごくない?3日に一回は日記書いてんだよ?しかもだいたい1000文字以上。どんだけ暇なんだよ。自分。

実際そんなに書く事ないんだけれどね。まあ、ちょっと続けて毎日500前後のPVが付いていると「書くべきじゃないの?」なんて余計な思いが出てきて無理にでも更新しちゃうんだけどさ。なんだか、小学生のときによく言われた「癖をつける」という意味がやっと理解出来ました。アラサーにして。

 

ただ、最近気にしてるのはこの日記がなんか臭くなってる事。「世代間ギャップ」やら「セクシャリティ」やら、世間に物申しますよ!逆張りで!的な記事が多くなりすぎちゃってるのよ。

まあ、普通に生きていれば「ありふれた事件」さえも起こらないくらい無職透明な日常だから、ニュースに言及する方法が多くなっちゃうのは仕方ないんだけどさ。

 

あんまり良くないと思うのよ。そーいうの。

100回書いて、見返して自分の底がお盆くらいの浅さしかない事に気が付いて絶望するというのはまあ、良いとしても、社会派(笑)日記を書く事で自分の中の「社会への怨念や執着が増幅されてしまっている」気がするのがよろしくない。

ほら、よく「文章を書く事で思考がまとまる」とかいうじゃない?

それは確かにそうで、こう見えても社会派(笑)日記はある程度考えて書いているから、1日記書くごとにモワモワっとしていた思考が結構まとまってくるわけ。

で、

 

「いやー、疲れやすいしお酒あんまり飲めない飲み会は遠慮したいなあ・・・」

くらいの思考が日記を書き終える頃には

「人の気も知らず飲み会を強制する奴は無能。価値のない奴の話なんて聞くに値しないし、酒飲みは死ね!」

になってる。

 

これはさすがにまずいでしょ。自分の中だけで思考をこねくり回していうちに先鋭化、極論化してしまうという、やばい人にありがちなパターン。

本当、書く事には不思議な力があって、多分、流行語大賞の「日本死ね!」の人も、最初から日本国の滅亡を願ったりはしてなかったんじゃないかなあ。

 

でも、そういう極論の方が稼ぎやすいからね、ハテブ。

もしかしたら、「極論」→「ホットエントリ」の快感にはまって、自家中毒おこしてる人もいるかもしれない。

僕だけじゃなくて、雑記ブログをやっている人は全員気をつけたほうが良いと思うよ。

 

しかし、はてな界隈はイデオロギー的な色合いがネット社会でも特に強くて、弱者保護に熱心な有名ブロガーとかがいるけれど、頭大丈夫なのかね?

 

まあ、かの有名な格言「深淵を〜」みたいに、あまりに社会に対して意見をしてると、逆に社会への怨念で身動きが取れなくなるような気がするから、これはちょっと僕は強く戒めておこう。やっぱり、臭いし。

 

じゃあ100日記以降どうするかといえば、できる限り「雑記」から「日記」に退化していこうと思います。誰と会った〜、何をした〜とかそういうやつ。もちろん社会派(笑)日記も少しは続けるけれどウエイトは減らしていくつもり。

ただでさえ少ないPV数はもっと減るだろうけれど、まあ仕方がない。

世間様用の文章がホットエントリしても、結局は意味がないと思うので。