山本圭壱復活のうすら寒さと「内輪」の崩壊
元?極楽とんぼの山本圭壱が7/29のめちゃイケで復活したらしい。
山本が未成年淫行で逮捕されたのは丁度10年前の2006年。
当時、僕は大学生で、全盛期のめちゃイケにどっぷりつかっていた世代だった。
ほんと、当時のめちゃイケはすごかった。月曜学校に行けばまずめちゃイケの話をしたし、数取団とか「過激な」ゲームが取り上げられればこぞってみんな真似をしたし、案の定、PTAに取り締まられもした。
一つのテレビ番組が若者のムーブメントの中心にいる、今から考えるとまるで昭和。
最近よく批判されるけれど内輪ネタがキツイのは今も昔も一緒。
でも若者を「内輪」に取り込めるだけのパワーがめちゃイケにはあったんだ。
そんなめちゃイケの中でも山本の存在は特に際立っていた。山本の油谷さん、山代といったキャラクターは当時でもまさに「内輪だからこそ許される、むしろ内輪から外に出してはいけない」といった過激な代物で、それゆえ(今では想像もつかないことだが)めちゃイケと視聴者との妙な仲間意識に支えられ文字通り暴れまわっていた。
だから、山本が逮捕、それも未成年淫行で捕まった時、僕の周りでは割と衝撃があったように思う。
衝撃というのは「笑い」という意味だ。
あの「平成生まれが解禁だ!」山本が、よりにもよって未成年淫行で捕まるというのはもう笑い事でしかない。「おいしいなぁ(ダブルミーニング)」と当時の僕は割と楽観的に考えていた。
また、まことしやかに「美人局説」も流れるなど、擁護の空気もあったため復帰は容易だろう、とも考えていた。
しかし、それから10年山本圭壱はついに表舞台に帰ってこれなかった。
その山本がついに復活したという。
正直今となっては、全く興味がわかない。
僕はめちゃイケの山本が大好きだったし、最初は復帰を望んでいたはずなのに、この「復活」にはちょっとした「うすら寒さ」すら感じてしまう。なぜなのだろうか?
1、「追放10年」はあまりにも長すぎる
10年ひと昔、とは言うもののやはり10年は相当に長い。陰気で馴らしていた大学生の僕は、もう陰気で無能なサラリーマンになってしまった。
そして「本当に才能ある人間は間違いを起こしても自力で復活できる」という事に気がつくのには十分な年月だ。
過去に事件を起こしてしまった芸能人は沢山いる。もちろん、その多くは表舞台から消えていったが、一方で世の中のニーズが途切れることなく、それゆえ復活した芸能人もまた存在する。
僕は、例え槇原敬之が今も覚せい剤を打っていたとしても槇原の歌は聴きたいし、たけしのフライデー襲撃事件は美談にすら思える。板尾創路だって元気にやっているではないか。
残念ながら、山本はそうはなれなかった。もちろん、10年間、山本なりに必死の努力はしたのだろう。でも、結局芸能界追放を撤回できるほどのニーズを視聴者に喚起できなかった。
つまりは山本はその程度の男であると思わざるをえないし、10年の時の流れの中で僕を含め視聴者もそれを実感してしまった。
にもかかわらず今更「復活」と騒がれても今ひとつノれないのである。
2、めちゃイケの「企画」に成り下がってしまった山本の10年
復帰の場所はめちゃイケ以外ありえなかったのは間違いない。岡村も度々自身のラジオで「(山本の)帰る場所を残しておきたい」「山本の復帰は宿題」と発言していたし、第一、山本には他に代表的な番組なかった。
そこで満を持して行われたのが先日のめちゃイケ復活スペシャルだったのだろうが、これが僕にはどうしても悪手だと感じられてしまった。
面白い面白くないはともかくとして(僕には面白くなかったが)、あれでは単なるやたら壮大なめちゃイケの「企画」だ。
山本の10年がたった一本のめちゃイケの企画になってしまったわけである。
そして、企画には必ず終わりがある。先日のスペシャルがそれで、多少無理くりながらも山本問題について決着がついた。
さて、最大の持ちネタである謹慎10年に決着がついてしまって今の山本に一体何が残るのであろうか。
もっとやりようがあったはずだ。めちゃイケ復帰後、極楽とんぼで全国謝罪ツアーをするという話がぶち上げられていたが、なぜそれを復帰の前に持ってこられなかったのか?申し訳程度でも、ドサ廻りがあるのとないのとでは全然印象が違う。
これに、めちゃイケが低視聴率にあえいでいるという状況を鑑みるとさらに色々な見方ができる。視聴率UP策か?それとも終わりに向けた徒花か?
どちらにせよ後味が悪い。
3、テレビ番組における「内輪」の崩壊
これが、めちゃイケの全盛期、いやテレビの全盛期であれば山本圭壱の芸能界復帰はもっとずっと簡単だったろう。
内輪ネタ内輪ネタと言われるがテレビの全盛期時代は日本国民全体がテレビの「内輪」であり、比較的同意(コンセンサス)が取りやすかった。当時なら山本もほんの数ヶ月で万雷の拍手を持って受け入れられたに違いない。
この内輪を担保していたものはTV業界への「憧れ」だったように僕は思う。
内輪ネタの王者とんねるずが「港局長」を始めとする業界ネタでブレイクできたのも「ああこの業界の一員でいたい」という視聴者の「憧れ」があったからだ。
しかし、テレビ業界はその「憧れ」を失ってしまった。
今や、テレビ番組における内輪ネタは銀魂大好き婦女子がカップリングについて騒いでいるのとなんら変わりがない。
めちゃイケ山本復活スペシャルが見ていてうすら寒い事この上なかったのはその為だろう。
僕(を含め多くの若者)はもうテレビの内輪ではないのだ。
ちゃんとその事を考えて番組を作って欲しいと切に願う。
(と言ってもテレビに憧れた人間がテレビ局に入社するのだからそう簡単には理解できないだろうな)
以上雑記
念のため言っておくと僕は山本のやった事や人格を否定する気は全くない。
ただただ、面白くなかっただけだ。