なぜ人は「自分だけがよくミスをする」と錯覚するのか?

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僕はよくミスをする。まあ「コピーの部数が足りない」とか「ポケットに社有車のキーを入れて来ちゃった」とか「資料を忘れちゃった」とか そういう他愛の無い事なんだけど、でもこれは仕方ないよね。

 「人はミスをする生き物である」とは昔から言われている事だし。

 

と、いつも半ば開き直りの様にあっけらかんと暮らしていたんだけど、最近ちょっと恐ろしい事に気がついた。

 

「他人がミスをしている現場に遭遇した事が殆ど無い」

 

おかしい、これはおかしい。人がミスをする生き物ならば、当然他人のミスも目に入って来るはずである。

なのに自分でミスっちゃって「てへっ」っと思う回数に比べて、他人のミスに「こらっ」がとなる回数が圧倒的に少ない気がするのは 何故なのだろう。

 

ひょっとして僕は人並みはずれてミスの回数が多いのか?足手まといさんなのか? いや、違う。違うと思いたい・・・。

という事で、今回はどうして「自分だけが良くミスをする」と錯覚してしまうのかについて考えていこうと思う(自己保身)

 

図解 ミスが少ない人は必ずやっている「書類・手帳・ノート」の整理術

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1、自分のミスに対する感受性が強すぎる

 

おそらく一番の原因はこれ。

 

僕は、仕事でもプライベートでも、やれ「ちょっとつくのが早すぎた・遅すぎた」だの「今日は疲れた」だの「道が渋滞している」だの、そういう他人から自然と漏れてしまうネガティブ発言や、ともすれば準備段階で修正し露見すらしなかった不手際ですら1ミスとしてカウントしてしまう傾向がある。

そうすると必然的に総ミス数は増えていくわけで自分の事を「ミスが多い男」と思い込んでも仕方が無い。

 

2、「ミスをしたと感じた」ことと「ミスをした」ことの違いを分かっていない

 

「自分がミスをしたと感じた回数」「他人にミスをしたと思われる回数」はイコールでは無い。1の例をだして言うのであれば 他人がネガティブ発言をする時は必ずしも誰かを責めているとは限らないし、そもそも準備段階で修正したミスなんて露見すらしていないのである。

 

他人にわかるような明らかなミスの数なんて、実際には自分が思っているよりずっと少ないはずだ。 だから僕らは他人がミスをする場面にほとんど遭遇しない。

 

要するに「ミスはバレなきゃミスじゃ無い」のだ。

 

にもかかわらず、うまく開き直れないから、あたかも自分のミスが他人に比して格段に多いように思えてしまうわけだ。

 

 

3、みんなミスはするが、それなりの「なすりつけ力」を持っている

 

当然だが、人は誰しもミスをしてしまった場合それをリカバーしようとする。方法は様々だがその中の一つに「人になすりつける」というちょっと褒められないやり方がある。そこでなすりつける対象として選ばれてしまいやすいのが「いつもミスに怯えてオドオドしている」僕たちなのだ。よく上司から急な仕事を依頼される事は無いだろうか?「あの資料を早急に作ってくれ」「先方にいってこの書類に判を押してもらってくれ」とか。思うにあれはミスの一形態なのだ。

 

それを、上司という立場から、仕事を振るという形で僕らになすりつける。こうすれば、本人はミスをしたという事を悟られにくくなるし、仕事の責任がなぜが部下にも発生してしまうから、最終的にミスをリカバーできなかったとしても誰のミスかは曖昧になる。結局、負わなくてもいいダメージを負うのは僕らだ。

 

こういう事が積み重なると自分の中に「相手の要求に満足に答えられない自分」という負のイメージが出来上がってしまう。

 

上司に限らずとも「共同責任」をなぜか取らされるケースってあるんじゃ無いかな?

 

 

と、こんなところだろうか。

 

要するに自分が「ミスをしたと感じる」時、そのほとんどは精神的な要因か外的な要因でそう感じるだけであって、「本当に自分自身がミスをした」と呼べるような状況はさほど多く無いという事である。

 

だから、僕を含め「自分だけがよくミスをするのではないか?」と思っている人たちは是非気を強く持って生きて欲しい。

 

ミスを過剰に気にしていると、いつか絶対に言い訳のできない本当のミスをする羽目になってしまうと思うから・・。

 

 

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