もう、寄付を善行と呼ぶのはやめよう
熊本の震災と関連してまた「寄付の是非」が問題になってる。少しでも良識のある人なら耳を疑う話だと思うが、この日本にはまだ寄付行為に対して訳のよくわからない条件付けをして見下している人々が存在するのだ。
こんな風にね。いわく「わざわざSNSにアップするなんてそういう自分を見て欲しいだけだろう」とか「普段は無関心くせに、こんな時だけ寄付なんてして」とか、もう数十年前から言われているロジックを得意げに語っている。
本当に馬鹿馬鹿しい。確かに、かの有名な「伊達直人」の頃から正体を隠しての寄付は美談とされてきたが、そもそも伊達直人は職業がヒールレスラーだったためやむおえず、匿名で寄付をしていたのであって、何のやましい事の無い一般人が正体を隠す必要なんてどこにも無いのである。
ことほと左様に、寄付という行為にはその「精神性」という厄介なものが伴っており
いつまでも反寄付主義者がいなくならない。まったく理解不能である。
そもそも、寄付という行為について「善」とか「偽善」とかそんなんものは関係が無いのだ。すべての価値は「どれだけの金を、物資を現地に送ったか?」に集約されている。
未だにガキ臭い奴が批判してる「24時間テレビ」だって無から億単位の寄付金を生み出しているだけで十分に価値があるし、風評被害著しい「日本ユニセフ」だってそうである。よくネットの噂を真に受けた情弱たちが「募金をピンハネする日本ユニセフでなく、ユニセフ大使の黒柳徹子に寄付をしよう!」と声高に言っているが黒柳徹子が今まで集めた募金の総額は56億円程度であるのに対して日本ユニセフが集めた募金は 2015年単年で164億円だ。黒柳徹子には申し訳ないが、しっかり広報費をかけつつも莫大な金額を寄付している日本ユニセフの勝利だと言わざるをえない。恵まれない子供たちだって、絶対日本ユニセフの方を頼りにするに決まってる。
もう、寄付を善行と呼ぶのはやめよう
寄付に善とか偽善とかを持ち込んでも笑われるだけだ。
「一般人が寄付した10万」より「殺人犯が寄付した1000万」の方が価値がある。
寄付活動とはそういうシビアな世界なのだから。
そしてその世界で最も価値が無いのは「口だけ出して金は出さない無能」だ。
この理屈がわからない人は寄付活動に一切口出しをしない方がいい。寄付をする側に取ってもされる側に取っても邪魔になるだけだから。