あの頃の未来に僕らは立っていないからキレる

駅とかで中高年が怒鳴り散らしている場面に出会うたびに「最近の年寄りは…」と憤りをあらわにしていた僕だけれど、最近、自分の中にあるキレる中高年の素質が芽生え始めてきた気がする。

昔は、脇腹を刺されても多分そこまで怒らないんじゃないかな?という位安定した精神の持ち主だったのに、今じゃ些細なことでブワッと怒りゲージが上がる。コンビニのババアが遅い、電車が遅れる、携帯の電池が切れる、暑い寒い、なんて些細なことで怒髪天を突く。もちろん、僕もまだ理性はあるから「沈まれ…沈まれ…」と疼く気持ちを抑えて、にこやかに振舞うこともできるけど、それもいつまで持つか。「箸が転げてもイラつく年頃」が始まった感ある。

 

なぜこんなにイラつくかといえば、もう自分の生活がままならないこと以外にその理由はない。もともと、学生時代からそこまで素晴らしい人生を予想はしていなかったし、どちらかというとロクでもない人生だろうなと予想していたけれど、ここまでロクでもないとは。そんなギャップが僕の精神状態を変えてしまったのだろう。しかも30代といえば、社会階級とか将来が固定されるお年頃。今から挽回するハードルの高さと残り時間の短さが、僕から余裕を奪っていく。ああ、ままならねえなあ(怒)

 

そんな状況から、自分の大嫌いな「キレる中高年」について改めて考えてみる。50〜60代といえば、日本の一番美味しい時期に社会人としての成長期を過ごした人たちだ。「このまま好景気が続く」なんて思っていたおめでたい人は自業自得としても、年功序列だとか終身雇用とかの制度がまだ常識の範疇で、公私共に自分が特に何もしなくても社会がレールを引いてくれていた時代にバリバリ生きていた人たちが「まあ、このまま真面目に働いていればそれなりの人生が送れるだろう」と考えていたとしてもおかしくない。まさか日本がそのまま引き返せないラインまで落ちぶれるなんて。

 

その間、彼らは自分の成功体験から培った思考法、つまり「媚びる、怒鳴る、這いつくばる」という方法で必死に耐えていたのだろう。残念ながら、それでは景気はよくならないし、何より側からは耐えているようにも見えない。本当の逆境の世代からは軽蔑され、人望すら得られないまま時間だけが過ぎていく。気がつくともう取り返しのつかない年齢だ。その時に感じる「こんなはずじゃなかった」感は想像がつくだけに、想像したくない。やり場のない怒りが無関係な誰かに向くのもわかる。

 

確かにそれでも就職氷河期世代とかいう日本の業を一身に背負った人身御供どもに比べれば現在の境遇ははるかに恵まれているかもしれない。でも、結局「昔と今のギャップ」なんて個人の感じ方次第だから、中高年が感じる「こんなはずじゃなかった」は壮年が感じるそれと、絶望の総量にはそこまで大差はないずだ。

 

さて、このままいくと僕はおそらく「キレる中高年」になる。理解は示して見たもののやっぱり僕は「キレる中高年」がクソみたいに嫌いだ。どうする。なんだかゾンビになるか、ゾンビになる前に終わらせるかの二択を迫られているような気がする。

 

とりあえず、まだストログゼロには手を出さない。