村上春樹の魅力の99%は「やれやれ」で、「やれやれ」してくれればみんな幸せ。やれやれ。

村上春樹翻訳の「リトルシスター」を読む。私立探偵フィリップ・マーロウシリーズはこれで二冊目なんだけれど、前作以上に物語の筋が追えなくて困った。

最初人探しの依頼を受けて動き回っていたはずのマーロウが、いつの間にハリウッドに乗り込んでいて、裏社会の大物相手に皮肉を振りまいたあげく、ギャングスターを殺してしまった女優の尻拭をしていた、というわけのわからない話。

「このメキシカン女はアレの何なの?、え?お前とお前は同一人物なの?」と僕は読み進めるごとに混乱していたのであった。

なんなんだか。

まあそれでも僕はとても楽しくこの本を読んだ。多分また買う。

僕にとってこのシリーズは「マーロウが皮肉を言うと何か悪いことが起きて、しぶとく皮肉を言い続けているうちに悪いことが去る」というお話で、とにかく、マーロウが何か気の利いた皮肉を言っていればそれでいいのだ。

 

そういえば、翻訳者である村上さんの小説も世間の持ち上げっぷりはどうあれ、だいたいそんなもんだろうと思う。

ほんと、村上さんの小説の主人公の異常な「あわてない・さわがない」っぷりはなんなんでしょうね?

女が消えても、自分が死にそうでも、なんでも「やれやれ」。あとパスタ茹でてるか。

国民全員が主人公みたいな性格だったら大地震が起きてもきっと誰もパニックにならないだろうな。まあ、全員うんざりしながら死ぬんだろうけれど。

でも、僕はそういう主人公の言動と文体だけが好きで村上さんの小説を読んでいたし、読者のだいたいは中高生であることを考えると、ほぼほぼみんな、「やれやれ」に頭をやられちゃってるんだろう。

もちろん、ハルキスト(アレを自称することで本人になんの得があるんでしょう?)の言うことにゃ、あのどちらかといえば童話とか神話に近い村上さんの小説にもしっかり深い意味があって、そこに打ち震えるてるらしいんだけど、僕にはいまいちよく分からない。

 

僕は主人公が「やれやれ」してくれればそれだけで自分も「やれやれ」となり満足なのだ。「やれやれ」言ってれば自然に進む物語、なんとなくマーロウ感あるでしょ?

 

ちなみに、第三者視点で描くのが上手だからか村上さんのエッセイは例外なく面白い。小説がああだから、エッセイももちろん俯瞰視点で読んでいてなんだから落ち着くのだ。どれほど悲惨なお話をしていても。

むしろノーベル文学賞にノミネートされるとしたらこっちの方なんじゃないかなと僕は思う。

 

あと、これは蛇足だけれど「村上春樹が好きです!」という男は大抵ああいう超越的なまでにスカした冷静な主人公に憧れていて、でも現実世界ではそういう態度はだいたい上手くいかず、拗らしている場合が多い。

 

要は村上春樹好きの男にろくな奴はいないって話です。