長時間労働で人は死なないが尊厳を失うと簡単に死ぬ

高学歴美少女の電通社員が自殺してから割と「過労死」の事が話題になっていて、それは、電通美少女社員とはまったく逆の底辺零細中年会社員の僕に取っても、とてもありがたいことなんだけれも、なんとなーく「長時間労働が悪いんだ!!もっと休みを!もっと!」的な流れには素直に両手はあげられねえなあ、と思う。

 

なぜかというと、理由もう単純で、

長時間労働では人は死なない」から。

だってそうでしょう。世の中には社長でも会社員でもフリーランスでもとにかく理解できないぐらい昼夜問わず働いている人がいて、そーいう人がすべからく死ぬかといえばそうでは無いわけで(まあそいう人種の中には死んで欲しい人も多いけど)、残念がらそれを楽しんでいる人もるようにも見える。

で、我々一般人にしたって昔から比べると随分労働時間は減ってきているはず。

最悪「もーどうしても無理!」となれば辞めればいいだけで、何も死ぬことは無い。

とにかく、ごくごく一般的な日本人は普通は長時間労働では死なないのだ。

 

じゃあ、なんで仕事で人が死ぬのかといえば、それは「いじめ」があったからに決まってるだろ、と思う。社内・社外からの。

自殺した高学歴美人電通社員もツイッターで「徹夜で書いた資料を捨てられた」とか「忘年会の準備で死にそう」とか書いていて、自殺の原因はそういう「いじめ」じみた行為なんじゃ無いのか。

何回も言うけれど、働きすぎで人は自殺しねえよ。

金のため名誉のため望んで長時間労働をしている人は沢山いるよ。

ただ、明らかに周囲が悪意に満ちていて、その悪意の集積としての長時間労働があるのなら多分人は簡単に死ぬ、僕なら1週間も持たずに死ぬ。当たり前の話。

「過労死」なんて、日本人お得意の言い換えでちょっと「職に殉ずる」みたいな美しい言葉を使ってるけど、実際は多分「いじめ自殺」とほとんど変わらないんじゃねえのかなぁ。

 

だからこの事件以降、マスコミとか政府が盛んに言っている「長時間労働を減らそう!」という、分かりやすい数値目標がなんか腑に落ちないのだ。

ただ長時間労働を規制したところで世の中の悪意の総量が変わるわけでも無いのに。
先生の見えないところで静かにボコられるだけ。

 

まあ、要するにこの日本が「人間の尊厳」に対して驚くほど無頓着なのが根本的な問題なんだろうな。「いじめ自殺」にしても「過労死」にしても。

目の前で書類を捨てる行為が、人前で怒鳴り散らす行為がどれほど人間の尊厳を傷つけるか全然わかっていない。ろくに飯が食えなくても、疲れて足腰が立たなくても人は死なないけれど、尊厳を失えば人は精神的にも物理的にも死ぬよ。

 

いや、実は人を叱る様な身分の人は尊厳の大事さを誰よりも深く知っているのかもしれない。だからこそ、相手の尊厳を壊しにかかる。壊してしまえば相手は抜け殻も同然で、自分の尊厳も傷つけられることは無いからね。

ああ、地獄絵図。

長時間労働規制よりも先に、そのへんの「道徳」の教育からしてもらわないと「いじめ自殺」は減らないですよ。

 

少なくとも僕は、高々仕事ごときで人間の尊厳を賭けた戦いをしなきゃ生きられないのいうのはすごく辛いなあ、と思う。