ブログを休んでる間に自殺しかけた話
日記を最後に書いたのがおおよそ1ヶ月半前。日記をか書かなくなってから僕は本当に最悪だった。いや、最悪だったから日記を書かなくなったというべきか。
原因はそれこそ「ありふれて」いて、とにかくお金が全くなくなってしまったのだ。
これが「連帯保証人をしてあげていた親友が突然逃げた」とかそういうドラマチックな話ならまだ楽しかったのだけれど、もちろんそんなわけは無い。
普通に借金をして普通に返せなくなった、ただそれだけの話だ。
社会人1年目にパチスロ打ちたさにクレジットカードから4万円キャッシングした時から決まっていた当然の結末。
だいたい「10歩先に崖があると知りつつも、まだ1歩は踏み出せる」という事実に安心しまうような僕にとって、借金の「適切なご利用」なんてできるわけがなかったのだ。
案の定借金はこの10年で年収を超えた。
それでも僕は、ただ漫然と「なんとかなる」と思っていた。
例えば終末時計のようにあーだこーだワイワイやりつつ結局、「その日」なんて来ないものだとばかり思い込んでいた。
そうしたら本当になめらかに「その日」はやってきた。
銀行、街金、友人、全てからお金が借りられない上に、明日会社に出勤するための交通費すら無い(定期は換金済み)夜が突然やってきた。
いや、絶対「突然」なんかじゃ無いし、むしろ踏みとどまれるタイミングなんていっぱいあった事は想像に難く無いのだけれど、僕の記憶ベースではいま振り返っても突然としか言いようが無い。いかに終末の直前で焦っていたかがわかる。
あの夜、僕がまず考えたのは自殺だった。
で、その数瞬後「なるほど」という気づきも得た。
自殺をする人の気持ちが本当に理解できた気がしたのだ。
多分人は辛いからじゃなくて「面倒くさいから」自殺をするのだな、と。
僕が言うのも何だが僕が死ななくて済む方法は山ほどある。
友人に再度頭を下げて、時には死をチラつかせて金銭を要求すれば縁切り代わりにいくらか出してくれるだろうし、まだ親だっている。どうしてもダメなら自己破産でも何でもして生活を立て直せばいい。
もちろん自殺をする直前の人だってそんな事とっくに気がついている。でも、本当に窮している人にとって途方もなく面倒臭いのだ、これが。だからなんとなーく収まりの良い「自殺」を選んでしまうんだろう。
そいういう意味で「自殺は甘えだ!」という強硬論は的を射ていると思う。
と、そんな事を考えているうちに空が白んできて、決定的なタイミングを失った僕はしかたなく「途方もなく面倒臭い方法」をとった。
親に金に困っているという旨を(過少申告気味に)話して、当面の生活費を工面してもらったのだ。
当然、大層心配されたが「途方もなく」というほどは面倒臭くはなく、僕は命をつなげる事ができた。
これが、この1ヶ月半にあった「ありふれた事件」の大まかな全てだ。
あの夜「なるほど」と思わなかったら僕はこの世にはいないだろう。
気づきは命を助ける事もある。
まあ、それが良い事なのか悪い事なのかわからないけれど。
依然ピンチの僕だけれど生きている限りはこの日記を続けようと、なんとなく思う。
たとえ、25日の給料日まで4000円で過ごさなきゃならないにしても。