もし友人がゲイだったら、僕は「アウティングする」だろうな。
一橋大学でゲイが自殺した事件以来、僕のゲイへの関心はこれまでに無いくらい高まっていたのだけれど、ゲイの恋愛というか性欲事情を考えるにつれ「いやあ、やっぱりゲイは周りにいないで欲しいな」という考えに至った。
一体ゲイの恋愛観というのはどうなっておるんだ。
もし、ゲイが僕ら(ノンケ)と同じ恋愛観を持っているのならば、それはつまり、「男性全員が性的対象だ!うへへ。」と宣言しているに等しく、やっぱりゲイは恐怖の象徴である。
例えばお風呂問題。
ノンケの男にとって女湯への侵入は夢であり、もし実現できたら誰彼問わず発情してしまうことは間違いないが、それは一生を台無しにする覚悟が伴うもので、僕らにはできない。悲しい。
でもゲイにとって同様の状況は日常茶飯事のはずだ。だって、普通に生活をしていれば男湯に入れるのだから。もう発情し放題だろう。うらやましい。
ただ、これは、明らかにホモに「性的被害を受けている」と言ってもいい事案だとも思う。
性的な目的で裸体を舐める様に見られるなんて一般的には犯罪だ。しかも同性からだなんて震えが止まらない。
怖い怖い。
というと「自意識過剰だ」!という批判がゲイサイドから飛ぶかもしれないけれど、仲間の中に裏切り者がいるみたいなもんなんだから、いつ刺されるか(メタファー)普通、怖いに決まってる。
それとも、なにか、ゲイというのは「自分の想い人」にしか性欲が発動しない聖者のような特殊性癖の持ち主だとでもいうのか?
ただでさえ不自然なのにさらにそんな不自然なことがありうるのか。
ゲイの恋愛観が全然わからない。
ただただ、僕は自分の友人や同僚がゲイでないことを祈ることばかりだ。
おそらく僕は友人からそういうカミングアウトを受けた場合、ゲイに対して
「周りの友人にも自分から伝えろ、もし伝えない場合は僕が伝える」
と言うだろう。
現状ではゲイはステルスに性欲を発露させてくるアサシンみたいなたいなやつらだと思わざるをえない。
だからコミュニティを「性的被害から守る」上でこれは仕方のないことだと思う。
仮にそれでゲイが孤立したりしてもそれは知らない。
性格の不一致、年収の格差とかであるコミニティから疎外されるなんて普通のことでしょ?
後、一橋大ゲイ自殺事件の様な話が出ると決まって「私はゲイなんか気にしないよ!」「理解できるよ!」などというノンケが大量に沸くのもよくわからない。果たしてそいつらはことの面倒くささがわかっているのだろうか?
正直、
「ゲイのカップルも同性婚も認めるよ!いい世の中になった!(でも自分には関わりの無い所でやってね)」
というのがノンケの本音である様な気がするのだけれど、どうだろう。
ゲイもゲイで存在や恋愛のナイーブさばかりを強調しないで、いっその事「ほんと、仕方が無いので今は男湯に入ってますけど、実質嬉しくてたまりません」位のことを情報発信していったほうがいいんじゃ無いかな?
たぶん返ってゲイに対する施策が手厚くなると思うぜ。