19人殺し…社会から追認された殺人鬼・植松聖

7月26日から早1ヶ月が経とうとしている。

たった1人の青年によって19人もの命が奪われれた相模原障害者施設殺傷事件のその日から。

戦後最大の大量殺人事件…にも関わらず社会の反応はあまりにも薄い。ニュースで検索しても『鬼畜半生』などカストリメディアに少々記事が載る程度である。

 

植松被告は犯行前、LINEでこう知人に問いかけていた。

生まれてから死ぬまで回りを不幸にする重複障害者は果たして人間なのでしょうか?」

図らずも、今のこの状況こそが、その「答え」だと僕には思える。

どうしてこうなってしまったのか、今回はその辺を考える日記としたい。

 

1、重度の重複障害者だけを狙った犯行

植松被告は「重複障害者は世の為にならない」と考え今回の犯行に及んだ。そして、思想通り、施設職員には危害を加えず重複障害者だけを19人も殺害した。

善悪は別にして、動機と行動は一貫しており、そこに謎は無い。

一方、被害者である重複障害者には「物語」が無い。

事件を風化させず、後世に生かすためには「物語」が不可欠だ。

これが、一般人を狙った無差別殺人なら話は違っただろう。

将来を嘱望された大学生、結婚を間近に控えたOL、偶然そこを歩いていた通行人、それぞれに違った物語があって、それを語るだけで嫌という程報道量は増える。だからこそ時間的猶予も出来、今後の将来を考える必要性にも迫られたはずだ。

しかし、意志の疎通が出来ない程の重複障害者にそんなもの望むべくも無い。

そして、マスコミや我々も「追及されるべき謎も語るべき物語も存在しない」事件に興味や価値を感じるのは難しい。

 

2、植松被告の精神病と危険ドラッグ常用

被害者側に物語が無いのであれば加害者側からアプローチするほか無いが、ここでも物語をぶち壊しにする要素が現れる。

植松被告は大麻を含む危険ドラッグの常用者であり精神病患者でもあったのだ。

これらは、いわばパンドラの匣を開ける鍵のようなものだと僕は考えている。

植松被告にも物語はあったはずだ。彼が、教員を目指し、重度障害者施設で働く中で、どのような憤りや葛藤や理不尽を感じながから、生きてきたか?

その物語の中にこそ本当の「動機」があり、精神障害「危険ドラック」はきっかけに過ぎない。

にも関わらず「精神病患者で危険ドラック常用」という事実は僕たちが向き合うべきだった箱の中身まで全部なかったことにしてしまった。

かくして戦後最大の大量殺人だったはずの本事件は、「異常者が狂って重度障害者を殺した」という極々一般的な異常事件として僕らの思考の埒外に追いやられたのである。

 

3、衆議院議長への手紙

この事件に対して政府の動きも鈍かった。当事国である日本より先に、アメリカやロシアが「お悔やみ」を発するなど、初動の遅さが目立つ。また、これだけの大量殺戮事件にもかかわらず、現在政府から提起されている政策は「措置入院制度の見直し」だけだ。重要なのは本当にそこなのか?

これは、邪推と言われても仕方がないと思うが、政府が及び腰になっている理由は「植松被告が犯行前、衆議院議長に送った手紙」にあると思う。全文は下記。

breaking-news.jp

植松被告は、犯行前、衆院の森理森議長(自民党所属)公邸へ二回も足を運び、手紙を渡すことに成功している(議長本人ではないが)。

この手紙にははっきりと障害者への殺意と具体的計画、そして差出人の本名と住所が記載されている。

ネットで爆破予告をしただけで逮捕される世の中なのに、「元障害者施設職員が自身の個人情報を明らかにしてまで伝えた殺害計画」が何故無視されてしまったのだろうか?一見してわかると思うがこの手紙は犯行予告に等しい。一見して頭のおかしい奴だったのはわかる。ただ、だからこそ、この手紙の時点で何か手を打っておけば殺傷事件は発生しなかっただろう。

この点で、日本政府には負い目がある。

あまり追及されたくないが故、この殺傷事件に深く切り込まない政府の姿が想像できるのは僕だけだろうか?

 

 リオ五輪、SAMP解散、あの事件の後沢山の出来事があった。その中において障害者施設殺傷事件はすっかり過去の話と成り果てている。

 

生まれてから死ぬまで回りを不幸にする重複障害者は果たして人間なのでしょうか?」

 

冒頭紹介した植松被告のこの問いに対して、今の現状を鑑みると「人間ではありません」と答えざるをえない。

我々は所詮『「物語」を持たない人間を人間として扱うことはできない』のである。

国民、政府、そして障害者たち、この事件に誰も興味なんてないのだ。

話題の24時間テレビもこういった重複障害者施設には取材に行く気配すらない。

今後、植松被告は罰せられるであろう。19人殺しということを考えると極刑がふさわしい。

ただそれはあくまで頭数の話であって、彼の思想そのものは社会から追認されてしまったと言えるだろう。

 

もし、この現状を変えたいのであれば、精神障害者や意思疎通も出来ない障害者を自分と「同格」とする必要がある。

そして、それは色々なものが邪魔をしてとても難しい気がするのだ。