ゲイが望む世界とはどんな世界なのか?

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最近、自分がゲイである事を言いふらされた?大学生が自殺する事件が起きた。

要は「AがBに告ってフラれた事が仲間内に広まってしまった」という、青春時代にありがちな甘苦い残酷エピソードなんだけど、今回はこのAとBの関係性が「ゲイとノンケ」だった事がまずかったらしい。

ゲイである事がみんなに知れ渡ってしまった結果、ホモであるAは自殺してしまった。

案の定、LGBT界隈は大騒ぎだ。

詳しくはこの辺を見て欲しい。

www.buzzfeed.com

 

僕はこの事件そのもには言及する気は無い。

今のところ出ている情報だけでは「失恋の痛手が深すぎて自殺した」というナイーブな話なのか、「LGBTへの中傷がひどすぎて自殺した」というシリアスな話なのかわからないからだ。

 

ただ、僕は1人のノンケとして気になる事がある。

それは

「いったいゲイが望む世界とはどのようなものなのか?」

という事だ。

 

LGBT関係の話題になると必ず出てくるのが「偏見・差別」といったワードだ。

確かに、教育や就職、福祉の面でLGBTの人々とノンケの人々で差があってはならない。

僕にだって、学力や仕事の能力と本人の性的嗜好は本質的に関係ない事くらいはわかるし、そういう面で差別する奴らに対しては、僕もLGBTの人々と肩を組んで挑めそうな気がする。

 

ただ、こと恋愛に関する事となれば話は別だ。

「同性も好きになれる人」と「異性しか好きになれない人」は「USBかFireWireか」というのと同じで、偏見や差別とではなく、もはや「規格」の違いの問題であり、余程の奇跡が起きない限り交わる(メタファー)事は無いように僕には思えてしまう。

だから、LGBTの人々が望む「偏見や差別の無い」恋愛行動というのは何を指すのかまったくわからない。

 

すごく大雑把に言うと、

彼らは色恋沙汰において、

LGBTの存在が否定されない世界」

を求めるのか?

LGBTの存在が受け入れられる世界」

を求めるのか?

一番気になる所はそこだ。

 

前者はつまり、LGBTが「ハゲ」や「ブサイク」と同じ扱いを受けられる世界の事をいう。

LGBTである事は、色恋においてはデメリットになるけれど、好き嫌い以上の理不尽な罵倒や扱いを受ける事はなく、周囲の誰もが「そういう人がいるのは仕方の無い事だし、本人の所為じゃ無い」という道徳心を持って生活している世界だ。

もちろん、同性カップルも同性婚も「そんな人がいても良いよね」と白い目で見られる事も無い。

 

一方後者はもっと進んでいる。その世界ではLGBTは色恋のデメリットとならない。

ノンケもごく普通にLGBTから告白を受けるし、その逆もまた然り。

それに対して、誰も嫌悪感を抱かない。

ましてや、告白を断る場合も「相手がLGBTである」ことは理由にならず、むしろ差別として扱われかねない。

LGBTが男・女と並び、一つの性別として自然に扱われているような世界だ。

当然、プール、銭湯など公共の施設には各々別々の更衣室が設けられる。

 

雑な択一なのは承知しているが、LGBTが目指すのはどちらの世界に近いのだろう? 

 

「存在が否定されない世界」なら、長い時間はかかるが教育で可能だと思う。

僕らが「ハゲ」や「ブサイク」を表立って罵らないのは、それが「自分ではどうしようも無い事で、あげつらう事は酷である」と教わっているからだ。

だから、LGBTに関する事もそういう風に教育をすれば良い。

「同性を愛する人もいる。それは本人の意思とは関係なく、罵るのはいけない」と。

そうする事によって、少なくとも人の本能を正とした差別はでにくくなるだろうし、僕もそういう教育の推進を応援している。

 

しかし、LGBTが受け入れられる世界」を望んでいるのだったら話は違う。

この要求はノンケにLGBTになる事を求めている様なものであり、到底受け入れられない。

ノンケにだって、いや、人間誰しも好き嫌いはあるし、ましては「規格」の違う人間をそれを理由に避ける権利は当然あって良いはずだ。

もしLGBTの人々がこの様な同一化政策を望んでいるのであれば、僕は1人のノンケとしてLGBTの人々と戦わざるおえない。

 

さあ、どっちなんだ?だれか教えてくれ。