藤原紀香から出ている過剰な「大物感」は一体なんなのか、来歴から振り返ってみた。

                    

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今はもう見る影もないが、かのベッキーは「好感度」という謎パラメータのみで芸能界を縦横無尽に渡り歩いてきた。同じ様に、謎パラメータのみで今も芸能界を肩で風きって歩いている人を僕はもう一人思い浮かべることができる。そう、最近片岡愛之助と結婚したことで騒がれている藤原紀香だ。

一体なんなんだ、あの過剰な「大物感」は。

先の結婚に対してスッポーツ報知は

芸能界屈指のビッグカップルがとうとうゴールインした。2人はもともと友人関係にあった。昨年5月末に一部週刊誌でデートが報じられたが、双方とも交際を否定。愛之助は、当時交際中だったタレント・熊切あさ美(35)との破局をめぐってこじれ、熊切サイドが「別れていない」と明かすなど、泥沼化していた。(中略)

と伝えているが、僕にとって藤原紀香が大物だったことなんて一度もない。

前回の陣内智則との結婚だってそうである。「格差婚」なんて呼ばれていたが、当時新進気鋭の陣内智則と落ち目の女優藤原紀香だったら、どちらかというと陣内のほうが格差における「高」の方だと思うが、報道は終始、藤原紀香を「高」として扱っていた。

「陣内よくやった!」みたいな。おいおい、逆だろ、逆。

だいたい、藤原紀香の代表作って言われてなんかパッと思い浮かぶか?

僕は「プロジェクトミネルバ位しか思いつかないぞ。

おかしい、これはおかしい。

と言うことで、今回は改めて藤原紀香からでる大物感の正体についてその来歴から考えて行こうと思う。

 

 

ウィキペディアによると彼女のスタートはここから始まっている。

 ミス日本からキャンギャル、TVアシスタントまさに黄金コースだ。その後、藤原紀香は上京さらに勢いに乗っていく。

 おそらくこのあたりが藤原紀香の芸能活動のピークだろう。1999年には加藤あいと共にCMの女王に選ばれる活躍っぷりだ。言われてみれば、僕もJ-PHONEのCMでよく見ていた様な気がする。

しかし、普通はこの程度のブレイクで大物扱いはされない。しかもここがピークであれば後は落ちるだけ。現在、加藤あいが(悲しいかな)見る影もないのと同様だ。しかし藤原紀香は違った。未だに生き残り大物オーラを出している。なぜなのか?

答えは2001年〜2003年の空白の2年間にあると僕は考える。

1999年にCMの女王に選ばれた後、まさに人気の絶頂だった藤原紀香は何をしていたの

か。

 

彼女は内乱直後のアフガニスタンにカメラマンとして向かっていたのだ。

 

当時、僕は「へ、お顔の綺麗なだけな趣味レベルの素人カメラマンが戦地行ってパフォーマンスとはお目でてえな」と壮大にひねくれを拗らせた感想を抱いていたが、藤原紀香にとってはこれは大きな転機となる。

その後ますます藤原紀香は国際人道活動に傾倒していき、2006年には東ティモールを写真取材しニューヨークでチャリティー写真展を開催、2007年は赤十字広報特使就任、近年では自身でNPO団体を設立しカンボジアに学校も作っている。その間にアナン事務総長やU2のボノと親交を深めるなど人脈形成も忘れてはいない。

 

結果、藤原紀香は人気絶頂のイメージのまま、国際慈善活動家というさらに上の地位も手に入れる事となった。うまいやり方である。

中田英寿的リスタート」の先駆けであろう(最も中田は失敗してしまったが)

 

これが藤原紀香から漂う過剰な「大物感」の理由だ。

 

残念がら僕にはやっぱり不自然にしか思えないが一部の世間的にはそうなのだろう。

そしてそのイメージが一般常識のごとくメディアでは垂れ流されている。 

 

それにしても、なぜ藤原紀香はこんな大胆なイメージチェンジをしたのか?

これは僕のひねくれた想像に過ぎないが、

2001年に放送されたスタアの恋」の視聴率が振るわなかったからじゃないかと思う。

頭のいい藤原紀香はそうそうに自分のスタアとしての素質に見切りをつけて、慈善活動をやり始めたのだ。本心なのか生き残りの為なのかは分からないけれど。

 

あーしかし、もう一生分の「藤原紀香」を今回の記事で使ったな。今後こんなに言及することなんて多分ない。興味ないし。

 

 

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