マタニティマークは卑しい

通勤中、運よくシルバーシートが空いたので、すかさず座ったら目の前に「おなかに赤ちゃんがいます」の文字が躍っていた。カバンの先端にぶら下げられた「マタニティマーク」の配置は完璧で、どの方向に視線を向けても逃れることはできない。カバンの絶妙な傾け方はまさに手練れの技だ。

こうなるともう、僕は狸寝入りを決め込むことしかできない。

数分後、彼女は何故か怒ったようにそのカバンを網棚にあげた。

 

まあ、仕方ない。僕だって同じ日の朝、トイレに行こうとした時に足首を捻ってしまっていたのだから。本当なら即座に会社を休むところなのに、もう今年度の有給を全消化してしまっていたから出勤せざるをえなかったのだ。シルバーシートに座る権利ぐらいはあってもいいだろう。

 

この出来事について僕は申し訳ないとも恥だとも思わない。

 

でも一つ感じたのはこの「おなかに赤ちゃんがいます」という一文はどうしようもなく人をイラっとさせるな、ということだった。

 

「おなかに赤ちゃんがいます」

辛いのか?座りたいのか?いったいどうして欲しいのか?具体的な事を何一つ明示しないまま「おう?わかってるだろうな?」と迫ってくるその様子がなんだかとても卑しくて僕は嫌いだ。それはヤクザのやり口じゃないか。

これが、

「おなかの中に赤ちゃんがいるので、席を譲ってください」

というはっきりとした意思をもった文だったら、きっと僕は足首が痛いことも我慢しつつ席を譲ったように思う。それがコミュニケーションってもんだろ。

だいたい口には出せないからバッチをつけているのに何故そこをぼかすのか。

 

僕はこれを「優しさがなくなった」とは思わない。

「察する文化」と「無言の圧力」にもう疲れたのだ。勝手にほのめかして、こっちに丸投げして、その上、時には不機嫌になったりしないで欲しい。

 

さあ、どうしても電車で席に座りたい妊婦諸君は早く、「妊婦なので座りたいです」マークを作るのだ。きっと今よりみんな席を譲ってくれるぜ。

それを「恥ずかしい」と思うのであればお手持ちのマタニティマークをカバンの内側に向けて黙っていてくれ。